みぞグミBLOG

描いた漫画/読んだものについての感想/日記を置いています。

表現規制のラインについて

先日、温泉むすめプロジェクトに関するブログ記事を書きました。

mizogumi.hatenablog.com

 

それに対して、
「性差別として規制するラインはどこに置くべきだと感じているか?」
という質問を受けたので、ここで回答しようと思います。

私のブログ記事の内容を受けての質問だと思うので、「公衆施設における性差別表現の規制ライン」を問われているものと解釈して自分の考えを述べます。(質問の解釈に誤りがあったらすみません)

正直に言うと、私は表現規制のラインを設けることに全く考えが至っていませんでした。

それよりも、人々が思考停止することなく、こういった問題に対し考えを巡らせ続けるにはどうしたらいいのだろう?なぜ私たちは互いの未来に繋がっていくような話し合いが重ねられないのだろう?ということばかり考えていたのです。

温泉むすめプロジェクトの一件だけを見ても、話の論点を共有できず、全く話が噛み合っていないのが現状です。
つまり、共有できているものも少ない上に、お互いの言葉を理解しようと歩み寄ることもできていない状況だと感じています。
そんな中で表現の規制ラインだけを設けても、思考停止に拍車をかけるだけではないか?というのが私の考えです。

「なぜ相手はこんな主張をするのか?」「なぜ相手はこんな強い物言いをするのか?」「なぜ自分は相手の言葉を受け入れられないのか?」こんなふうに思考することが大事なのではないか、と私は考えます。

問題の本質が伝わらないまま表現規制のラインが設けられ、思考停止したまま多くの人がそれに従う……それはすべての人の人権が尊重されている社会といえるのだろうか?と疑問に思います。

同時に、問題の本質が伝わらないままに表現規制のラインが設けられても、抑圧やそれに伴う反発を招くこととなり、ますます望まない分断が生まれるのでは、とも危惧します。

手間もかかるし大変なことですが、問題や意見の食い違いにぶつかったとき、一回一回思考し議論を重ねられるようになるのが私の理想の社会なんです。
表現や企画で失敗しないことではなく、人権の問題や表現の問題を「扱えるようになる」ことが私が社会に求めたいことなのだと思います。

そのため、「表現規制のラインを設ける前にまだやることがある」というのが私の質問に対する答えになります。

 

 

少し話がずれるように思われるかもしれませんが、買ったきり積んでしまっていたこのマガジンを先日読み終えました。

f:id:mizogumi:20211126184124j:plain

読み終えた後は、「なぜ女性はこんなに虐げられなければいけないのか…」と暗澹たる思いがしたり、「自分の身体のことなのに知らないことが色々あったなぁ…」と勉強になったりと様々な感想を持ったのですが、その中でも強く感じたのが「女性の人権というのはつまり自分の人権のことでもあるのに、それについて語る言葉が私は乏しいな」ということです。

前回のブログ記事も今回のブログ記事も、形にするまでにすごく時間がかかりました。

自分が何を言いたいのかは頭で分かっているのですが、それをどのような形にして発信したらいいのかがうまく掴めず、それを考えるのにものすごく時間がかかってしまうのです。自分のことなのによく分からないこともたくさんあります。

でも、前述のとおり、私は人権の問題や表現の問題を扱えるようになりたいんです。
そのためにはもっとすんなりブログの記事を書けるようになりたいし、いちいち気負わずもっとカジュアルに自分の考えを発信できるようになりたい。

もっと勉強し、人と話し、文章にし、経験値を上げなくてはいけないな!と思いました。

 

 

ブログにコメントをくださってありがとうございました。
お返事に時間がかかってしまいましたが、自分の発信に反応があったことで、自分では考えの及んでいなかったことについて考える機会と、それに関してまた発信する機会を得られました。